テレクラで出会いに悩んだらテレフォンセックスで一休み

テレクラで出会いに悩んだらテレフォンセックスで一休み

出会い目的ではなく、テレフォンセックス目的のテレクラ利用について考えていきましょう。

テレフォンセックスというのは、出会い中心のテレクラユーザーにとっては、実際にプレイしてみるまでは正直なところちょっと意味不明なプレイに感じられるのではないでしょうか。少なくとも、私はそうでした。

テレフォンセックスは、普通のセックスと違って男性器を女性器を挿入することができません。そんなテレフォンセックスに対して「一体、それの何が気持ちいいんだろうか?」と感じるのは、おそらく、テレクラユーザーとして、いや、人として当然の反応といえるのではないでしょうか。

男性器を女性器に挿入しないどころか、テレフォンセックスにおいては、テレフォンセックスをともにプレイすることになる相手の女性の顔や身体を見ることもできないのだし、相手に触れることさえできません。

ここまで聞いて「なるほど、話を聞く限り、テレフォンセックスという性行為は、どうやら普通のセックスよりもずっと気持ちがいい性行為に違いないな」と考えられる人がもしいるとするならば、その人はたぶんテレフォンセックスの天才であるか、テレフォンセックスの神に愛されているかのどちらかでしょう。

多くの場合、その反応は「挿入ができないどころか、相手の顔も身体も見ることができず、触れることもできないのであれば、テレフォンセックスなどに興じる理由はますます見いだせなくなってしまう」というものになるのではないかと思われます。

ところが、実際にプレイしてみると、テレフォンセックスというのは、マイナス面と思われていた特徴が、すべてプラスに転化するものであるのです。

テレフォンセックスは、それをプレイしはじめるやいなや、「挿入ができないこと」も、「相手の顔や身体がわからないこと」も、「相手に触れることができないこと」も、すべてがテレフォンセックスの「魅力」として機能しはじめるのです。

このマイナスからプラスへの転化に関しては、実際にテレフォンセックスをプレイをすればすぐに自分の感覚で明らかになることなのですが、実際にプレイしない人にはよくわからないことですし、なかなか説明が難しい領域でもあります。

マイナスからプラスへの転化については、たとえば、「セックス」における「がっかりする瞬間」を引き合いに出しながら説明するしかないかもしれません。

性風俗でも、出会い系でもなんでもいいのですが、「実際に会ってするセックス」は、「顔や身体が見えない相手」と「出会う(実際に外見を知る)」までの時間が何より楽しい、という側面を持っています。

風俗の場合は「パネル」と「紹介文」、出会い系などであれば「加工された写メ」や「プロフィールや日記」などを参考にして「どんな女性がくるのだろう」とワクワクしながら待つことになります。この「待っている時間」こそが、「出会ってするセックス」における醍醐味でもあります。

「待っている時間」のなかで、男性の都合のいい脳は「想像や期待以上の相手がくること」を願ってしまうことを避けることができません。どれほど自分を律する能力を持っている男性であっても、風俗店の休憩室や、出会う女性との待ち合わせ場所では「ひょっとすると、いや、とんでもなく好みのタイプの女性がくるかもしれないぞ……!」と期待しています。

「いや、自分の好みの女性がくるはずはない。なるべく期待値を下げなくては」と何度も何度も強く言い聞かせている男性であっても、「いや、それでも、もしかすると……?」という期待がしのびこむ心の隙間を必ず持っています。

ですから、実際に目の前に現れた女性を見たときに、男性の胸に去来するのは大抵の場合「失望」です。性にまつわる行動をしているときの男性は自分にめちゃくちゃ甘いので「想像」は常にかなりレベルが高いのですが、現実が「想像以上」であるということは、まず、ほとんどありません。

相手の女性が「許容範囲」であったとしても、強すぎる「想像」が前提としてあるために、直面したときの「かすかな失望」はなかなか避けられません。「あー、なんだか思ったより……」という煮え切らない感情を飲み込みながら、「いや、予想してたより、ずっとかわいいですね!」などと取り繕って、現実を少しずつ受け入れるという流れが、「実際に会ってするセックス」における初対面の場でよく起こります。

これが「想像」の「許容範囲」をはるかに下回る女性であった場合、男性が感じることになる「落胆」の度合いは尋常なものではなく、男性によっては、勃起不全に陥ることさえあります。

テレクラを一つの遊び方で限定させるとその遊び方が行き詰まり停滞する

テレフォンセックスにおける「相手の顔や身体が見えない」という特徴は、こういった「会ってするセックス」と切り離すことができない「失望」や「落胆」があらかじめ取り除かれている、ということでもあります。「顔や身体が見えない」というマイナスが、テレフォンセックスにおいてはプラスに転化するというのは、そういう意味です。

続いて「挿入や接触」はどうでしょうか。これは、端的にいって「性病感染」という実にわかりやすいデメリットがあります。かたや、「挿入や接触ができない」テレフォンセックスにおいては、「性病感染」のリスクが一切ありません。これはかなりのメリットであるといえるでしょう。

また、肉体をすりあわせる「セックス」というのは「絶対に気持ちがいいもの」ではありません。たとえば、雑に「射精させればいいんでしょ」とでも考えているような女性にガシガシとペニスをしごかれた場合、訪れるのは「快楽」ではなくて、うんざりするような「痛み」です。

また、「射精して早めに終わらせてよね」と考えてマグロのように横たわっている女性との「セックス」は、プレイ中に悲しくなるばかりです。

相手の女性との意思疎通がまるでない状態で、ただ膣に挿入しているだけで、やけくそ気味に腰を振って射精するというような「即物的なセックス」は、男女の性行為によってもたらされるはずの「快楽」がかなり希薄であると言わざるをえません。

精神が欠けた「セックス」は、「セックス」の「快楽」の多くの部分が削ぎ落とされたセックスであるといえます。「完全に無関心か拒否の態度をとる女性との殺伐としたセックス」をするくらいなら、まだ、「オナペットのことを考えながらオナホールを使ってするオナニー」のほうがよっぽど気持ちいいのではないでしょうか。

「性病の回避」以外に、テレフォンセックスにおける「挿入や接触の欠如」という特徴がマイナスからプラスに転じる地点があるとすれば、まさに、ここにあるのではないでしょうか。

「顔と姿が見えない相手と、受話器越しに言葉だけで性的なコミュニケーションをとり、絶頂に達しなければならない」というテレフォンセックスの特異な状況は、男性と女性、それぞれに「相手への気遣い」をおのずと発生させる傾向があります。

「即物的な挿入だけがあるセックス」では決して発生しない「精神の交流」が、テレフォンセックスでは発生しやすい、というわけです。テレフォンセックスを行為するということは、「相手への気遣い」が「性行為の快楽」を増幅させてくれる、ということを高まっていく快楽とともに改めて学ぶということでもあるといえます。

挿入を主目的とした「セックス」を繰り返していると、「セックスってもっと気持ちいいはずでは……」という感覚に襲われることがあります。いわば、「セックス」という行為との倦怠期です。

この「セックス」の倦怠期において、テレフォンセックスという挿入のない特殊な性行為は、男女の交わりが持つ本来の愉しみを取り戻すための調整にもなるように思われます。

私がテレフォンセックスというものを試してみようと思ったのも、まさにこのセックスの倦怠期でした。退屈なセックスを繰り返し、挿入というものに飽き飽きしていたときに、テレフォンセックスというものが急に選択肢として存在感を示しはじめたのです。

そして、「挿入を前提としたセックス」を基準に考えるとすべての要素がマイナスに感じられたテレフォンセックスが、プレイしてみた途端に、「挿入を前提としない」ゆえにすべてがプラスへと転化し、素晴らしい快楽を与えてくれたのです。

マイナスからプラスの転化については、前述したように、ある程度は言葉で説明することができます。ですが、それはあくまでも説明でしかありません。この転化は、実際にテレフォンセックスを体験するその時間のなかで、自分の身体で実感しなければ、なかなか理解ができないものです。

私は、「何がなんでもテレフォンセックスをしろ」などと言うつもりはありません。「セックス」を楽しんでいる男性には、まず、眼の前の「セックス」を存分に楽しみ尽くしてほしいとさえ思います。

出会い目的のテレクラ利用を通して「セックス」というものに楽しみを見いだせなくなってしまった男性がいるならば、私は、その男性に対して「テレフォンセックスという選択肢があるよ」という提案をそっと届けたいと考えています。

テレクラで出会いに悩んだらテレフォンセックスで一休みへのコメント

コメントを投稿




他の記事へ