テレクラの意志を受け取って次世代に引き渡すこと

テレクラの意志を受け取って次世代に引き渡すこと

テレクラブームはすでに終わった、と言われます。それと同時に、テレクラブームはあらためて到来する、いや、いままさに到来しつつある渦中にある、あるいは、極端な場合は、もうすでに到来している、とも言われています。

これと近いような話としては、テレクラは近いうちになくなる、といわれる一方で、テレクラはこれから盛り上がっていき隆盛を極める、という意見が同時に出ている状況を思い起こしてもいいかもしれません。

テレクラというのはその誕生の瞬間から崩壊の宿命を背負っているものですから、これらの相反する意見たちは、「いずれ崩壊して消滅する」ということをめぐって取りざたされています。

実際のところ、テレクラというものが現在どのような状態にあるのかを完璧に知っている人はいません。

わかっているのは、すべての被造物と同じように、テレクラが永遠ではなく、いつかは終わるということであり、しかし、その「いつか」が「いま」ではなく、「まだきていない」ということだけです。

重要なのは「テレクラがいまのところはまだ終わっていない」ということであり、「テレクラはいつか必ず終わる」ということです。「テレクラはいつか必ず終わる。だから何もかも無駄だ、すべてに意味がない」という考えに傾くのがもっとも安直であり、また、あまり豊かではありません。

テレクラについて何かを考えるにあたっては「テレクラはいつか必ず終わる」ということを見据えたうえで、「いまのところはまだ終わっていないテレクラ」のその崩壊の過程に、「みずからも崩壊していく肉体」を持っている主体として寄り添いながら、ともに滅びていく宿命を持っていることを喜び、もしそれが継続させられるのであれば次代に継続させていくためにできる何かを、どんな小さなことでも実践する、そういった姿勢が好ましいのではないかと思われます。

「自分が滅びると同時に世界も滅びてほしい」と考えている場合、「テレクラもブームの終焉とともに終わるべきだった」というような考えに傾くこともあるかもしれません。

仮にテレクラがほそぼそと続いていくにあたって、自分の死後に、テレクラというものが、現在の状況からは考えられないような実に豊かなものになるという可能性はゼロではありません。「自分が滅びたあとに世界が栄えるなどということがあってはならない」と考えているならば、こういった事態は、決して受け入れることができないでしょう。

しかし「自分が滅びたあとも世界は継続していく、自分の崩壊と世界の崩壊は必ずしも一致しなければならないということはない」という考えを持っているのであれば、自分とテレクラのそれぞれの終焉を重ね合わせる必要はありません。

自分が滅びたあともテレクラが続いていくのであれば続いていけばよいのですし、テレクラが滅びたあとも自分が生き延びるのであれば、生き延びればよい。ただそれだけの話であり、それ以上のことではありません。

水面下で活動が続いているところが現在のテレクラのすごみ

現在テレクラを利用するということは、テレクラを継続させることに繋がっています。「すでに終わった」と言われてから久しいが、現在も続いていて「何も終わってなどいない」状態にあるテレクラを利用するということは、次代に向けてテレクラを残すことにほんの少し寄与することでもあるでしょう。

もちろん、その「ほんのすこし」の力がいたらず、いよいよテレクラがその存続が難しいとなった場合は、テレクラは次代に繋がることなく、一つの終焉を迎え、予定されていた宿命としてプログラムされていた崩壊をまっとうするということになります。ちょうど、私達の生命がそうであるように、テレクラもその生命を終わらせるのです。

テレクラには第一次テレクラブームと呼ばれる「店舗型テレクラの黄金期」がありました。

「テレクラというものが現在のようにダラダラと続かず、そこで完全な崩壊を迎えたのであれば、テレクラにとっても幸福だったのではないか」というようなことを言う人は一定数存在しますが、テレクラに限った話ではなく、「黄金期」や「ブーム」のなかに身をおいていた人は総じてそのようにして「とどめ」をさしたがる傾向にあります。

しかし、もし、「黄金期」の終焉とともにテレクラそれ自体も終焉を迎えていたのであれば、現在の無店舗型テレクラ登場以降のテレクラからテレクラユーザーになった一連の人たちは現れることがなかったのですから、「黄金期が過ぎ去ったあともテレクラが残る」ということの意味は、それほど小さいものではないのではないでしょうか。

黄金期の終焉とともにテレクラが滅びなかったということは、テレクラが滅びることを拒否したということになるでしょう。

テレクラが続いたのは、終わったといわれるテレクラを使い続けた人がいたからであり、テレクラ運営、および、テレクラユーザーのなかで「これを終わらせてはいけない」という意志がそれぞれにあり、その小さな意志がゆるやかに連帯し、継続的な利用というかたちで水面下の活動が続いていたからにほかなりません。

「テレクラの意志」は生き延びることを欲し、崩壊の過程に変わらず身を置きながら、いまのところまだ終わりを迎えないでいる。現在テレクラを利用するということは、連綿と受け渡されてきた「テレクラの意志」を引き受け、次の世代へとその「テレクラの意志」を引き渡すことを決意するということであるといってもよいのではないでしょうか。

店舗型テレクラは衰退し、無店舗型テレクラは栄えている、というようなことはよく言われますが、店舗型テレクラの衰退は間違いないにしても、個々人の携帯電話がテレクラ化する無店舗型テレクラが栄えているのかそれとも停滞しているのかを知ることができるのは、テレクラユーザーの側にはいません。

無店舗型テレクラの運営側だけが、無店舗型テレクラの過去、現在、そして、これからの見通しを知っている状態にあるのですが、衰退していようが栄えていようが、テレクラの運営側は「衰退している」という風に自分たちの姿を見せることはありませんので、表面的には「栄えている」という自分たちを演出します。その真偽はテレクラ運営のみが知っています。

店舗型テレクラであれば、テレクラ運営側が「栄えている」という印象をいくらアピールしようとも、店舗がどんどん減っていく現状を見ることによって、その真偽を見抜くことができますが、無店舗型テレクラにおいてはそれを見抜くことは非常に難しいのです。

しかし、繰り返しになりますが、重要なのは「続いていること」なのであって「テレクラの意志」が水面下で漲っていることにあるのです。

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