テレクラの流動的で予測不可能な性格を楽しむ

テレクラの流動的で予測不可能な性格を楽しむ

テレクラというものは変化しつづけるものです。生々流転こそがテレクラの本質であるといえるでしょう。

テレクラについての言葉というのは、テレクラの変化というものに追いつくことができません。

「テレクラとはこのようなものである」というテレクラについての言葉は、「テレクラのしっぽを掴んだ」と思った途端に、それを掴んだと思い込んでいる者の手からするりと身を引き離し、逃れていくものであります。

また、「それはすでにテレクラについての言葉としては古すぎる」と思って油断しているテレクラユーザーのもとに、その「古すぎていて終わっているはずだった問題」が急に「最新の問題」となって立ち現れ、テレクラユーザーを動揺させ呆然とさせたりもするのです。

テレクラの言葉にもし結論があるとすれば、おそらくは「テレクラには結論がない」という結論しか導き出すことができません。

テレクラについて語られてきたあらゆることは「再び検証されることを待っている」のですし、「最新の結論」となったものは「最新の結論」になった途端からすでに結論ですらない遅れた意見となっているのです。

テレクラのこのような掴みどころもなく永遠に結論を与えないままで変化を続けるという性格はどこからくるのでしょうか。テレクラのこの性格は、ひとえに「テレクラというものがそれを利用する男女によって形成されている」というところからくるものでしょう。

テレクラという場所は、新規登録するユーザーと、テレクラから離れ脱退していくユーザーがたえず入れ替わり、巨大なうねりとともに新陳代謝を繰り返している場所であります。

ですから、ユーザーがいれかわるたびに、テレクラというのはその表情を激変させるのです。

「サクラしかいなくてセックスができなかった」という体験談が投稿されていたテレクラが、翌日には、相反する「信じられないかわいい女性がテレクラを利用してセックスができた」というような体験談を投稿されることは往々にしてよくあることです。

こういったおよそ併存することが不可能に思われるほとんど両極端の意見が矛盾を携えながら同居しているのは、テレクラというものが常に変化しつづけており毎日違った表情を見せているからにほかなりません。

テレクラは気まぐれで移り気な一人の人間だと思って付き合うといい

テレクラというものを利用して、「出会い」や「セックス」をゲットしているユーザーに共通しているのは、この「テレクラには結論を出すことができない」という厄介な性格を理解したうえで、めまぐるしく変化するテレクラの表面のさざなみに対応しながら、その変化を眺めつつ潮目を掴んでみせるという柔軟な姿勢です。

テレクラを諦める人たち、テレクラから離れていく人たちというのは、テレクラというものに「結論」を与えた結果として、テレクラから去っていく傾向にあります。

テレクラから去っていく人たちは、「テレクラには電波女しかいない」だとか「テレクラはブスばかりでまともな女はいない」というような、じつにわかりやすい「結論じみたもの」に弱く、早々に見切りをつけてしまいます。

ところが、ここで「テレクラには電波女やブスしかいない、というわけでもない」というふうに結論を先延ばしにし、辛抱強くテレクラの変化を眺め、利用しつづけていると、テレクラユーザーは、変化のダイナミックなうねりのなかで「まともでかわいい素人女性とのセックスチャンス」の気配を感じとり、実際にセックスしてみせることが可能になるのです。

もちろん、逆のパターンもあります。テレクラの変化のビッグウェーブにのり、めくるめく出会い、素人女性との濃厚セックスを繰り返していたテレクラユーザーは、わずかな間、その成功体験のなかで「問題」を忘却します。

「問題」を忘却した成功体験の連続の渦中にあるテレクラユーザーに、すでに古びた問題であったはずの「電波女性」や「肥満女性」や「ブサイクの女性」などの地雷女性をとつぜんぶつけるというのが、テレクラという場所の実に気まぐれなところで、この気まぐれな一撃で心が折れてしまうユーザーも多数存在します。

「同じことはつづかない」というテレクラのあまりにもシンプルな性格は、こういった手痛い打撃と喜ばしい出会いを、テレクラユーザーに試練とご褒美のようにランダムに与え続けます。

いやな性格といえばいやな性格ですが、数値をいれれば確実に同じ答えが帰ってくるというようなアルゴリズムに支配されていないところがテレクラの面白さであり、テレクラを利用する、というのは、一人の人間と付き合うような面白さがあるともいえます。

流動的なテレクラの性格を理解し、それに臨機応変に柔軟に付き合う精神的余裕さえあれば、テレクラ遊びはかなり面白くなります。予測不可能になればなるほど利用の醍醐味を感じとれる、という状態にまで持っていけば、テレクラを利用していて飽きるということはまずないでしょう。

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