テレクラを利用する自分に向ける冷徹で厳しい眼差しについて

テレクラを利用する自分に向ける冷徹で厳しい眼差しについて

出会い目的のテレクラ利用で要求される能力というのは、言葉にすると「あまりにも当たり前」であったり「とるにたらない」ような能力ばかりです。

しかし、こういった「あまりにも当たり前」であったり「とるにたらない」ような能力は、それ故に、ほとんど顧みられることがありません。

テレクラを利用していて一向に女性との出会いがないという人は、このほとんど自明となっているために疑われもせず反省されもしない「当たり前」をもう一度見つめてみるのもいいかもしれません。

というのも、私は何度も繰り返し執拗に「当たり前」という言葉を使っていますが、世の中には実際には「当たり前」のことなどはないのですし、仮にあるということになっているその「当たり前」のことも、実は「当たり前のこと」として必ずできているということもそれほどないのです。

たとえば、テレクラ利用で要求される「当たり前(とされているが、実は自明ではない)」の能力の一つとして「人の話をよく聞く」というのがあります。

実際のところ、テレクラのツーショットダイヤル、特に、出会いを目的とした利用においては、この「人の話を聞く」という「当たり前」ができているだけで、出会いの成功率が飛躍的に上昇するものなのです。

ところが、この「当たり前」ができていないテレクラユーザーというのは思いのほか多く、実は、それによって出会いの成功を自ら遠ざけていることが往々にしてよくあるのです。

とりわけ「セックス」に繋がる「出会い」を目的にしたテレクラ利用においては「性欲」というものが人の理性を駄目にする傾向があります。

普段は相手の話をよく聞くことができるタイプの男性であっても、ことテレクラのツーショットダイヤルとなると、途端に他人の話を聞く能力を失ってしまい、自分本位に身勝手な話をしつづけてしまうということがあるのですが、これはまったくもって「性欲」が引き起こすたぐいの悲劇であるといってよいでしょう。

また、「他人の話をよく聞くことができる」という能力は、自己判断と他人による判断の間でズレがあります。

出会えなかった回線で露呈した自分の不備を冷酷にみすえる

自分では「よく話を聞くほうだ」と思っていても、他人からすると「あの人は全然人の話を聞いていない」というふうに判断されることはザラにあることです。出会いに到達することができない多くのテレクラユーザーはこのあたりの自己評価が高すぎることを疑ってみるのもいいかもしれません。

また「人の話をよく聞くことができる」ということを、「とりあえず相槌だけ打っておく」というふうに理解している人もいますが、これは間違いです。それは、一見すると話をよく聞いているようで実は何も聞いていないということです。

「話をよく聞く」というのは「相手の言おうとしていることをなんとか理解しようとする姿勢」を前提として「自分の言葉を差し挟むタイミングが到来する」までは「相手の意見」に耳を傾けて、それをしっかりと自分のなかで咀嚼しながら把握し「こういうことが言いたいのだろうか?」と想像力を働かせるというプロセスを指すのです。

このように書くと明らかかと思いますが、「話をよく聞く」というのは、実は、非常に難しいことであり「当たり前」などという言葉で簡単にしてはいけないものなのですし、「自分はつねにそれができている」「自然にそうできている」などと思い上がることができないものでもあるのです。

「話をよく聞く」ができているか、という精度なり深度に関しては、テレクラ女性との会話のなかで残酷なまでに露呈されてしまいます。

「出会いに到達できない」という理由のすべてが「話をよく聞くという行為がちゃんとできていない」であるわけではありませんが、到達できなかった出会いのなかのいくつかのなかで、そういった自分の「できていないこと」が明るみになっているということはあるでしょう。

テレクラにおいては、「出会えなかった回線」のなかで、自分のなかの何が残酷に裁かれたかをそのたびに冷静に内省する、自分に対して向けられた冷徹で厳しい眼差しが必要となるのです。

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