テレクレータ島のテレクララビリンス
テレクラの全貌を把握することはおそらくできません。
日本全国のテレクラユーザーの証言などをかきあつめて、みずからを献身的に投入してフィールドワークに取り組もうとも、テレクラの全体的な把握にはいたることなく、必ず、どこかしらに細かい隙間や知識のほころびができてしまうし、迷宮のなかをいたずらに走り回ることになるのがテレクラなのではないかと思います。
「現在のテレクラシーン」というものから逆算して、ある一時代のひとつの状況を切り取って捏造するようにテレクラを語ったり、攻略法を捻出することはできるかもしれません。
ですが、そのようにして、あるひとつのテレクラの物語や攻略法を建立しようとして語りはじめるとき、テレクラという巨大な迷宮は微笑みながらその扉を閉ざし、その内部で再び迷宮を練り直すことにもなるでしょう。
「テレクラとは、このようなものだ」という定義の地図を手に侵入してきたテレクラ物語の語り手は、自分がかつて攻略したときとはまるで違うまっさらな迷宮の表情を前にして途方に暮れることにもなります。
無店舗型テレクラの登場、そして、テレクラユーザーの様々な性癖に対応するように開発される専門チャンネル、都道府県別に広がるそれぞれのセンターの設置、および、それぞれの専門チャンネルやセンターのなかで入り乱れるようにして利用する流動体としての男女たち。
これらの要素が複雑にがあいまって、テレクラというものは、いよいよ「綜合的な把握」や「攻略法の固定化」が困難になっていきます。
素人女性との回線はアリアドネの糸
たとえば、「東京都」で「テレフォンセックス」を楽しむためにテレクラを利用している人間による「テレクラ」の個別的な把握と認識、「四国」で「出会い」を楽しむためにテレクラを利用している人間による「テレクラ」の個別的な把握と認識はまったく違います。
彼らのテレクラ攻略のための「実践」は、さらに違うものになることでしょう。
それだけにとどまらず、テレクラというものは「繋がる女性の個別性」という強烈な斧の一撃によって、攻略法や対策の「実践」をつねに「書き換えられてしまう」ものでもあります。
このわずかな例証の、無限のバリエーションがテレクラにはあります。
テレクラというのは、「攻略法」というものを用いた攻略がつねに無化されるだけでなく、固定化された「攻略法」を築き上げることさえできない厄介なシロモノなのです。
テレクラは、最深部にミノタウロスという「怪物」が住むといわれているクレータ島の迷宮にもたとえられるかもしれません。
テレクラに攻略法はありませんが、しかし、根気強くコールをしつづけ、若く美しい素人女性の電話回線と繋ぐ=アリアドネの糸を手繰ることは可能です。
わずかに指先でつかんだ「アリアドネの糸」の感触をたよりにして、その糸を手放さず、その場のツーショットごとに攻略法を編み出していき即アポを仕掛けるとき、はじめてテレクラという迷宮を攻略する糸口をつかむことになります。
そして、そのようにして迷宮から脱出する時、テレクラユーザーはテーセウスのように、素人女性とホテルで即ハメする出会いの英雄になるのです。
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