百戦錬磨のテレクラユーザーの凄みにせまる

百戦錬磨のテレクラユーザーの凄みにせまる

テレクラにおける会話を男性が盛り上げるべきなのかどうか、という問題については、「そういう側面もあるがそうとばかりはいえない」という曖昧な結論を用意することしかできません。

というのも、絶対に男性側がリードしなければならない状況があるのと同程度に、男性が相手の女性を慮って身を引いてしっかりと相手の話に耳を傾けなければならない状況があるからです。

それに、こういった状況は「今回の女性はぜんぶエスコート」「今回の女性は基本的に聞き役」というふうに大きく割り切れるものではないので、そのツーショットダイヤルの会話のなかでめまぐるしく状況の機運が移り変わるのを見極め、その都度潮目を判断していかなければならないのです。

テレクラにおける「出会い」目的のツーショットダイヤルの「会話」のテクニックを伝授することの難しさは、こういった機微が、繋がる女性ごとに、そして、女性との会話の応酬のなかで細かく変化してしまうことにあるのは間違いありません。

自分の会話能力にはかなりの自信がある、というタイプの百戦錬磨のテレクラユーザーの男性が、相当の経験を持ちながら、それでも「出会い」を逃してしまうことがあるのですが、こういったことは、すべてはテレクラの根底にあるこの難しさに原因があるのです。

もちろん、百戦錬磨のテレクラユーザーの男性は、経験を積めば積むほどに「テレクラの難しさ」というものを骨身にしみて理解していきますから、一回一回のツーショットダイヤルに油断するということはありません。

「自分ぐらいの即アポ成功率なら、どんな女と繋がっても余裕で口説き落とせるだろ」というような余裕は、百戦錬磨のベテランテレクラユーザーになればなるほど実はなくなっていきます。

むしろ、百戦錬磨のベテラン以上に自分の会話能力や性交渉能力の欠如、自分の無力さを痛感している層はいないといっても過言ではなく、その自覚ゆえに、百戦錬磨のテレクラユーザーは「一回一回のツーショットダイヤルをいかに出会いに結びつけるか」ということに真剣になるのです。

愚直なまでのテレクラ利用だけが偉業へと繋がる道である

出会い目的でテレクラを利用し続けたいと考えているのであれば、慢心と「慣れた」という感覚を持つことだけは回避しなければならないでしょう。

「テレクラはいつまで経っても思い通りにいかないおそろしいものだ」と考えるのではなくて、「テレクラなんてチョロいでしょ、誰が使っても簡単に出会えるよ、鼻ほじりながらツーショットダイヤルしてても余裕」などと考えてしまった場合、テレクラは、テレクラという不条理を、そのテレクラユーザーがもっとも油断しているときに突きつけ、ダメージを与えることに容赦がなくなるでしょう。

「まあ、今までの経験上、テレクラではこういうふうにやっとけば正解だろ」であるとか「それほど出会いやセックスを求めているわけではないし、出会いにもセックスにも飽きてきたが、テレクラでも使うか」というような慣れによる惰性的な利用は、テレクラから汲み取ることが可能な肯定的な価値、喜びの一切をテレクラユーザーから奪い去ることになります。

百戦錬磨のテレクラユーザー(それでいて、初心者のようにテレクラと関わるテレクラユーザー)のすごいところは、テレクラにおいてある程度の成功体験と失敗体験を重ねてきているにも関わらず、それらの過去の体験と、「いま、目の前のテレクラ体験」を切り離す精神性にこそあるということができるでしょう。

テレクラを利用していると、いいことばかりではありません。テレクラユーザーにとっては「一回の地雷女」との遭遇だけで、もう二度とテレクラを使わなくなるということさえあります。

だというのに、百戦錬磨のテレクラユーザーは、そういったことを経験していながらも、なお、希望的に「テレクラの素人女性」との出会いとセックスを心から信じ切ることができるのです。

そして、数多の経験から「これは明らかに地雷であるだろう」とわかるテレクラ女性を相手に、まるでいままで一度も地雷女とのセックスなど経験したことがないのだ、と言わんばかりに、本気で口説き落とそうとするところに、百戦錬磨のテレクラユーザーの迫りくる凄みがあります。

繋がる相手の女性を差別せずに、どの回線においても本気を出すというその姿勢は、数多くの失敗を含みながら、確かな正解へと繋がっていくものであり、そういった「愚行」を「愚行」と思わないまま遂行しつづけることができる人だけが、最高の素人女性とのセックスという偉業を成し遂げることになるのです。

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