過大評価から逃れた現在のテレクラはセックスの隠れた穴場だ

過大評価から逃れた現在のテレクラはセックスの隠れた穴場だ

テレクラというのは性的な場所です。テレクラは、セックスにまつわる場所です。

出会いからのセックス、あるいは回線上のテレフォンセックス、どちらにせよ、テレクラというものは性的な目的のために使われ、そのための環境が整えられています。

性的な事柄というのは、公言することがはばかられるものです。セックスについての話題というのは、公共の場で口にする話題としてふさわしいものではありません。

ですから、テレクラというのは、「自分はテレクラを使っているんだ!」ということを声高に主張できるたぐいのサービスではありません。

テレクラというのは、基本的には「ひっそり」と楽しむものであって、できれば人にバレないように使うものです。

第一次テレクラブームというのは、社会現象になるほどの規模のものです。そのブームは、「ひっそり」と使うべき性的なサービスであるところのテレクラというものが、多くの人に知られ、明るみに晒されたじつに不思議な、特権的で異常な季節であったといわざるをえません。

現在、テレクラのブームは過ぎ去り、テレクラはその「性的なサービスである」という基本にふさわしく「知る人ぞ知るもの」となり、「ひっそりと利用する」というじつにつつましい規模がすっかり定着しました。

第一次テレクラブームの熱狂的な空気に触れてしまったがために、テレクラのブームが過ぎ去ってしまった現在の状況をみてテレクラの凋落を感じ、悲嘆に暮れる人もいるようです。

しかし、私としては、テレクラというのはブームになって人に広く知られるようなものであってはいけないのではないか、という考えがあるので、「テレクラもようやくおさまるべき規模、正当な位置におさまったな」と感じています。

第一次テレクラブームというのは、ブームになってはいけないものがブームになってしまった、というものです。しかし、流行と呼ばれるものは常々そういう間違いをはらんでいるのかもしれません。

その間違いというのは、「ブームになること」の間違いであって、「それが存在するということ」の間違いではありません。それは「過大評価」の間違いです。

現在流行しているものなども、「ブームであること」だけがなにかの間違いであって、その対象自体は「ブームであること」という間違いに巻き込まれているだけといえるでしょう。

「ブーム」になってしまった対象としては、それが「人」であったならば、その流れに積極的に乗り自信を強めていく人間もいれば、間違いによって自分に与えられてしまった「過大評価」に気恥ずかしさを感じて居心地を悪くする人間もいるでしょう。

テレクラというものは「人」ではありませんので、ブームの渦中にあったときとその後の気持ちの変遷をうかがうことはできないのですが、仮にテレクラというものに「人格」があったとして、さらにそれが「私」だったらというメチャクチャな仮定を重ねるならば、当時のブームには、後者の居心地の悪さを感じたのではないかと思います。

テレクラはおさまるべき場所におさまり適度な規模を維持している

「ひっそりと誰にもバレることなくアクセスできて、世間にテレクラというものがあることがほとんど知られていない状態で、水面下で利用されつづけている」というのが現在のテレクラです。

この現在のテレクラ環境の「身の丈にあった評価」は、誰彼構わずあけすけに披露するわけにはいかない「性的な営み」をする環境としては、かなりいい状態にあるといえるのではないでしょうか。

スマホ対応の無店舗型テレクラというのは、それほど多くの人に知られることなくじわじわとユーザーを獲得しながら、多すぎず少なすぎない一定数の男女がつねに利用しているという実に理想的な環境を築き上げて、それを維持しています。

かつて、社会学者などにも(十代の女の子と援助交際ができるからという理由で)愛され考察の対象にもなったテレクラというものは、いまや見る影もなく、おそらくは今後も変わらず考察の対象になることはまずないでしょうが、ふたたび、テレクラという「私」が考えるに、「それでいい」ということばかりを思います。

テレクラにとって重要なのは、それが社会にとってどういう意味があり、社会のどのような側面を切り取って語りやすくする対象であるかではありません。そのように扱われた時期があったのも確かですが、それはテレクラにとってどうでもいいことです。

テレクラというのは、男女が出会い、セックスができる場所です。そして、テレクラというのは、結局のところ、それ以上でもそれ以下でもありません。

現在のテレクラは「男女がセックスできる場所」としてのみ機能しており、それ以上のことを要求されることがありません。

テレクラは「問題」として扱われることから逃れ、その本来の役割であるところの「隠された性的な場」へと隠居し、過大評価を避けながらひっそりと営みを続けています。

テレクラというものは何も変わっていません。変わったのは、それを利用するユーザーと、それを取り巻く言説だけです。

おさまるべき場所におさまった現在のテレクラは、静かな勢いを持つ性交渉のサロンとしての、本来の姿を取り戻し、そのなかで充足し、男女の出会いを成立させ、セックスの機会を生み出しています。

性的関心をこっそりと人に隠しながら遂行したいと考えているのであれば、現在の無店舗型テレクラはオススメです。誰にもバレずに、その実態も不明のままセックスができる現在のテレクラは、秘し隠されるべき運命を持つ性行為にとっては、穴場であるといえるでしょう。

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