「テレクラ」という言葉をめぐって

「テレクラ」という言葉をめぐって

現在、「テレクラ」というひとつの言葉には、「店舗型テレクラ」と「無店舗型テレクラ」の二つの形態が含まれています。

「無店舗型テレクラ」という携帯電話・スマートフォンなどに対応している現在主流の「時間と場所を選ばないテレクラ」は、「店舗型テレクラの発展形である」と直線的に考えられるのが普通であり、その点については疑いが持たれたことがほとんどないのではないかと想像します。

ですから、「テレクラ」という言葉が、「店舗型テレクラ」と「無店舗型テレクラ」という二つの「テレクラ」を同時に指すことに対しても、それほど問題がないかのように扱われて、どうもスルーされているような傾向が見受けられます。さながら、リビングルームに横たわる象の死体を無視するようにして。

しかし、「店舗型テレクラ」というものは、果たして「無店舗型テレクラ」の先行形態であると単純に言い切れるものなのでしょうか。

私個人としては、「店舗型テレクラ」と「無店舗型テレクラ」の間には、なにか決定的な「断絶」があって「連続性」が断たれているように感じられてなりません。

「テレクラ」という言葉が、「店舗型テレクラ」と「無店舗型テレクラ」という二つの異なった形態のテレクラを同時に指し示す言葉として使われるとき、私のなかに去来する感覚を率直に言うならば、それは「混乱」です。

「テレクラ」という言葉を前にして「混乱」が去来してしまうのは、「テレクラ」という言葉によって指し示されるこの二つのテレクラの「根本的な違い」と「ぬぐいがたい同質性」について、私がたえず思考を巡らせていることがおそらく原因でしょう。

もちろん、「店舗型テレクラ」においても「無店舗型テレクラ」においても、「出会いの交渉」や「テレフォンセックス」といった「テレクラ」という場所で行われる基本的な行為には「共通項」を持ちます。

しかし、特定の店舗を持たない「無店舗型テレクラ」と、個室という場所に制限されて閉じ込められる「店舗型テレクラ」というのは、多くの共通点を持ちながらも、やはりなにか「別物」なのではないか、同じ「テレクラ」という言葉ではくくりきれない「なにか」があるのではないか、と私には思われてならないのです。

それと同時に「店舗型テレクラも無店舗型テレクラも、やはり『テレクラ』というひとつの単語によってひとくくりにされなければならない」という風に思われる側面がそれぞれにあることも確かです。

テレクラはテレクラである

私は、たえず「テレクラ」という言葉が指し示す「二つの形態」の間で揺れ動き、「テレクラ」という言葉の定義を決定できずにいる状態を続けています。

「無店舗型テレクラ」を多方向に散っていく中心不在の「リゾーム型(根茎型)のテレクラ」、「店舗型テレクラ」を「ツリー型(樹木型)のテレクラ」という分類でもって当てはめて、簡単な結論を与えて自分を納得させることもできるようには思うのですが、どうもそれだけでは解決できない、というより、了解できないような不気味な「断絶」が、両者の「テレクラ」の隙間となる部分に、依然として「わだかまり」として残るような「ごつごつとした感覚」があるのです。

「テレクラ」という言葉を使うとき、私が漠然とした不安のようなものにとらえられ、「いや、テレクラといっても…」という補足をまくしたててしまうのは、この「テレクラ」という言葉の二重人格的な側面と、それぞれのテレクラの異なった空間性に動揺しているからなのでしょうか。

「無店舗型テレクラ」が「店舗型テレクラ」の直線的な発展形であり、連続性を保っているのであるならば、「無店舗型テレクラ」のみに「テレクラ」が統合されて「店舗型テレクラ」は早々に消滅しているはずなのですし、実際そうなるだろう、と思われて予言じみた言説も飛び出しもしたのですが、店舗数は減少はしたものの、依然として「店舗型テレクラ」はその妖しい存在感とともに残り続けています。

「店舗型テレクラ」は有効なのか、もし有効なのだとしたらどのように有効なのか、それとも、有効ではないにも関わらず「テレクラ」のどうしても消せない部分として残ってしまっているのか。

これらのすべてのことが、未だに明らかになっていません。おそらく、これからも明らかにはならないでしょう。その上で、「店舗型テレクラ」は残り続けるように思われます。

「無店舗型テレクラ」という「テレクラ」の理想形態とも言える「最新のテレクラ」を利用しているとき、ふと背筋を凍らせるような気配としてよぎるのは、不気味に笑うような佇まいの「店舗型テレクラ」の存在です。

連続性があるような態度をとりながらその実「起源」でもなんでもないのか、あるいは、まったく連続性がない別人のような顔をしていながら避けられないような「起源」そのものであるのか。

「店舗型テレクラ」というものがのきなみ消滅しきったとしても、「テレクラ」という言葉が残る限り、その「テレクラ」という言葉に含まれつづけてきた「店舗型テレクラ」が完全に消滅するということはそもそもありえないのではないか。

さまざまな結論を与えかけてはまた逃れて問いを発生させていくような「店舗型テレクラ」と「無店舗型テレクラ」の関係性、そして、それらを強引につなぐ「テレクラ」という言葉。

この「テレクラ」という言葉について考えるために「テレクラ」を使い続けること、「テレクラ」を認識しようとしつづける営みは、「認識を徹底することによって世界を認識する」という地点に直結してさえいるようにも思われます。

テレクラの利用においては、女性との「出会い」と「即ハメ」以前に、そもそも、「テレクラ」という言葉との「出会い」と「即ハメ」があるのではないでしょうか。

どうも「テレクラ」という言葉について考えすぎて、混乱が極まってまいりました。ここはひとつ、テレクラで即アポをしかけた女性とメチャクチャにセックスをし、膣内射精をして「生」を実感しつつ、頭と睾丸を冷やしてこようと思います。

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