テレクラユーザーのことば

テレクラユーザーのことば

前回の更新では、「テレクラは隠されている」という事実の指摘と、「運営による宣伝の限界」を見据え、その上で、「新規女性ユーザーの獲得」のためにテレクラユーザーができることがあるとしたら、それは一体どのようなものが考えられるか、という可能性について軽く触れることになりました。

そこでは、「ひとりひとりのテレクラユーザーが、テレクラについての『声』をあげていく」という営みの重要性をひとまず挙げるにとどめて、その効果や方法、「テレクラユーザー同士による目に見えない連帯」などについては、いわば「無謀な予告」として書かれておりましたから、手探りではありますが、今回は、この課題について、少しばかり、素手で考えていくことにしましょう。

理想としては、「テレクラ」という出会いのツールが人々に広くあまねく知られることになり、家族のだんらん、友人・カップルなどの会話などの場で「テレクラ」という言葉が「タブー」として扱われるどころか「まったく知られていない言葉」として扱われるのではなくて、「気軽な話題」として扱われるようになり、人々の口に自然にのぼる程度に「テレクラ」が受け入れられ、流通することが目指されます。

もし、この理想が実現したならば、新規の女性ユーザーの獲得はその「流通」の度合いに比例しておのずと増えていくことになるでしょうし、女性ユーザーの質は今以上のものになり、テレクラユーザーの「出会い」や「テレフォンセックス」の幅が広がるであろう、という幸福な未来図を描くことができます。

しかし、これはあまり現実的なヴィジョンとはいえません。おそらく、「テレクラ」というものが、その程度にまで流通して人々の生活に根付くということはありえないように思います。

とはいえ、その理想に向かって動くことで、そこに到達できないまでも、「テレクラ」という言葉を、人々の間に「いま」以上にある程度流通させることだけは可能でしょう。ですから、理想は理想として掲げながら、現実的にどのような行動がとれるか、を考えることが重要になってきます。

「テレクラ」という言葉を少しでも流通させ、「テレクラ」という言葉を人々の生活の隙間に忍び込ませるためにはどのような手段が考えられるでしょうか。今回は、「テレクラ」という言葉を流通させるために考えうる手段のうち、もっとも「地味」な、しかし、基本的な二つの手段について触れたいと思います。

テレクラを利用する、考える、書く、語る

一つは「テレクラについて書く」ということです。当ブログが「テレクラ」について言葉を重ねている、ということも、その一つの実践として捉えることができるでしょう。

この「テレクラについて書く」という「一つの実践」が、テレクラを使うユーザーひとりひとりによって行われた場合、「テレクラについて書く」というそれぞれの行為は、小川が合流して大河になるように、一つの大きな流れを形成することになるでしょうが、現在のテレクラシーンにおいて、「ひとつの実践」が行われる気配も、それらが合流する気配もともにありません。「テレクラ」については、驚くほど「書かれた言葉」が少ない状況があると言わざるをえないでしょう。

「その気配がない」ということは、ここに「これから」があるということですし、「テレクラ」という言葉を流通させるための一つの未開拓の土地があると考えることもできるはずです。

「テレクラについて書かれた言葉」が、いかにして「テレクラ」の外側にまで届くか、ということも「テレクラについて書く」人間が抱える今後の課題となるでしょう。これは、私も、たえず考えていかなければならない問題です。

「テレクラについて書く」のと同様に「テレクラについて話す」という営みも考えられます。ちなみに、私は、友人の酒席に招かれ、近況などを聞かれた場合、なるべく「テレクラ」の話題を持ち出すことにしています。なんといっても「テレクラ」が私の近況である以上はそうせざるを得ない、という事情があるのも大きいですが、「テレクラ」を話題に出すにあたって「テレクラ」をわずかにでも流通させようという意思を当然ながら強く込めてもいます。

個室テレクラ全盛期のころは「テレクラについて話す」ということも今よりは多少容易だったのではないか、と思うのですが、現在において「テレクラについて話す」ということには大きな困難が伴います。

「テレクラについて話す」場合、現在の「テレクラ」を知らない話し相手から返ってくるリアクションは、まず間違いなく「テレクラって何?」か、「テレクラってまだあるの?」の二択です。ここで「テレクラ」というものをプレゼンテーションできない場合、「テレクラ」についての話題は早々に終わります。

ですから、「テレクラについて話す」ということは、「テレクラについて魅力的に語り、話し相手を引き込む」という困難を伴うことにもなるでしょう。「テレクラについて魅力的に語る」という、その語り方は、それぞれのテレクラユーザーごとに戦略を練らなければならないでしょうし、自らの体験に即した「肉体的なリアリティ」を伴った語り口である必要があるように思われます。

当然ながら、無店舗型テレクラの魅力を生き生きと語り、その語り口に誘導されるままに、気がつくと、話を聞いていた自分のなかに「テレクラ」という言葉が強烈にインストールされている、というような「テレクラ語り」を繰り広げるテレクラユーザーと出会ったことは、いまのところ一度もありません。「テレクラ語りにおけるナラティブ」は、テレクラユーザーの課題の一つであると言ってよいでしょう。

「テレクラについて書く」、そして「テレクラについて話す」。書いてみると、こんなに平凡な、あらためて書くまでもないような手段しかないのか、と打ちのめされるようでもあるのですが、ひとまずのところ、「テレクラ」という言葉を流通させる、基本的な二つの手段はこの「書くこと」と「話すこと」になるでしょう。(もちろん、「テレクラ・デモ」のようなアイデアもあることにはありますが、これにはまず、テレクラ以前の、「日常的にデモがある社会」という、市民たちの成熟を待たねばなりません)

「テレクラ」を「利用する」ということ、「テレクラ」について「考える」ことを抜きにしては、「書くこと」も「話すこと」もできません。テレクラユーザーがそれぞれに「テレクラ」について考える、ということは、小さな前進なのですが、その思考による前進が「新規女性ユーザーの獲得」へとつながる「テレクラについて書くこと」や「テレクラについて話すこと」への前進でもある、ということは、あまり自覚されていないように思われます。

テレクラユーザーひとりひとりが自覚的になり、「テレクラについて書く」「テレクラについて話す」を始めるとき、現在の無店舗型テレクラをとりまく環境は、少しずつ変化していくことになるかもしれません。

これは大言壮語かもしれませんし、とんだ夢想家だと笑われるかもしれませんが、私は、テレクラユーザーひとりひとりが「小さな声」をあげること、そして、その「小さな声」が「テレクラ」という言葉を通して「連帯」する、というその光景を、どこかで信じているようでもあるのです。

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