テレクラという場所が人に要請するもの

テレクラという場所が人に要請するもの
テレクラという場所は、出会いを目的にして利用するにせよ、テレフォンセックスを目的にして利用するにせよ、電話越しのコミュニケーションが主軸となりますから、基本的には「しゃべりつづける」ことがたえまなく要求される環境であると言えます。

テレクラは「沈黙」という行為が禁じられているような傾向が強く、主張したいことや喋りたいことがなくても、たえず「言葉」でもって「関係」を維持していかなければなりません。

自分などは、言語でもってすべてを説明しつくして、自分自身の肉体が持つ存在としての強みを希薄化させていくようなコミュニケーションよりも、「沈黙」によって意味が剥奪されて存在がむき出しになるようなコミュニケーションのほうを好むのですが、テレクラに関しては、むしろ、この「沈黙」が禁じられているような性質を積極的に受け入れていかなければ、楽しむことできません。

自分の存在をむきだしにしてゴソッと投げ出すような「沈黙」という姿勢は、即アポの交渉に成功したあとに入ったホテルでの即ハメのときには許されるでしょうが、やはり、テレクラでツーショットダイヤルをするにあたっては、多少無理をしてでも、会話が苦手だと考えていても、たえず言葉を喋りつづけなければなりません。

これは、テレクラという場所がそのような特徴を持つ環境である以上避けられないことです。

テレクラを利用していると、「自分の意思で何かを喋っている」というよりも、「しゃべらなければいけない」という環境だけがまずは先行してあって、その環境の持つ力にうながされるままに、しゃべりつづけている、というような状態に置かれます。

テレクラにおいては、即アポの交渉であれテレフォンセックスの遂行であれ、一対一の「話し手」と「聞き手」による「声と言葉」の交換によってのみ関係性が構築されていきますので、日常で経験する以上の、「言語的な格闘」を強いられることになるでしょう。

言葉から逃れるために言葉を使う

恋人同士の長電話であれば、「沈黙がむしろ愛しい」というような、黙っている相手の存在をまるごと感じ取れるような状態に持っていくことも可能かもしれません。

ですが、見知らぬ男女同士がとつぜん電話回線を通して繋ぎあわされてしまうテレクラという特殊な環境においては、そのような豊穣な沈黙が許される環境に持っていくために、まずは「過剰なまでのおしゃべり」を通過しなければなりません。

そのような「過剰なおしゃべり」をしていますと、しゃべればしゃべるほどに、なにか自分ではない存在が喋っているような不安が強まっていくような状態に陥ることにもなりますから、注意が必要です。

それは、テレクラを利用する女性の側も例外ではないようで、テレクラを使っていると、こちらが口をはさむ隙間もないほどにおしゃべりをまくしたてる女性というのがいますが、その女性のおしゃべりの加速には、自分自身の実在をどんどん見失っていくようなトーンがまとまわりついているようにも感じられます。

このようなタイプの女性と繋がった場合、残酷なまでに「言葉」しかない世界に置かれた彼女の不安を慰めるためにも、即アポの交渉をし、「言葉」のみで構成された世界から解放された、存在同士のぶつかりあいの領域である即ハメに突入するに越したことはありません。

テレフォンセックスという、快楽の上昇に応じて言葉の意味が剥奪されて「もの」になっていくプレイを展開し、エクスタシーを経験することも、意味伝達のための過剰なおしゃべりから逃れて解放される方法としては有効といえるでしょう。

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